加賀の由来
2014年5月28日
加賀の由来
帝京大学病院は板橋区加賀にあります。加賀は板橋区の東端に位置し、石神井川が中央を東西に流れ、この時期は石神井川に沿って植えられた桜がきれいに咲きます。また東側にJR埼京線の線路が南北に走っております。
帝京大学病院の近くには金沢小学校や加賀中学校など石川県に関係する地名が多いので調べてみますと、加賀(板橋)は江戸時代に加賀藩の約21万坪におよぶ広大な下屋敷があったことに由来すると言われています。上屋敷は東京大学の構内にあって、有名な赤門は加賀藩の門です。ちなみに加賀藩は江戸時代に加賀、能登、越中の3国の大半を領地とし全国最大の藩であり加賀100万石としても有名で藩祖は前田利家と言われております。
では、加賀(石川)の由来はと言うと、自然の力で「欠け」た土地という意味であったり,加賀の名を明るい、かがやくといった意味にとった由来が多いようです。
加賀という地名は他にもいくつかあります。その由来は諸説ありますが、カガの音の由来は草原・芝原を意味するものであり、その地域一帯が草原であったことから由来するのではないかと言う説もあります。
話は少しそれますが、1928年竣工した航空母艦にも「加賀」という名がつけられています。
戦艦に詳しい人であれば違和感を覚えると思います。本来、日本艦船の命名の慣例がありまして戦艦に旧国名(大和、武蔵など)をつけ、航空母艦には神話などに登場する空を飛ぶ瑞祥動物(瑞鶴、翔鶴など)を用いた名がつけられます。
もともと「加賀」は1920年に戦艦として設計され工事が進んでいました。ところが1921年にアメリカ、イギリス、日本、フランス、イタリアと締結したワシントン海軍軍縮条約によってこの条約会議開催までに完成していない艦は廃艦とすることになり「加賀」も含まれておりました。「加賀」は解体され、条約によって巡洋戦艦から航空母艦に改造される予定だった天城型巡洋戦艦「天城」と「赤城」の材料となる運命でした。ところが1923年(大正12年)9月に発生した関東大震災によって、横須賀の横須賀海軍工廠で改装中だった「天城」は損傷を受けて破棄されることになり代艦として「加賀」が航空母艦として改造されることになりました。だから航空母艦なのに旧国名がついているのです。
今回は加賀の由来について書きました。板橋区加賀には加賀下屋敷の名残が残っています。是非、一度足を運ばれてはいかがでしょうか。
端山 軍
Posted by 帝京大腸.com|帝京大学医学部附属病院下部消化管外科 東京都板橋区 at 18:04 / ニュース & トピックス コメント&トラックバック(0)
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